本日は前囘の續きである。市村副議長の車で山梨に向かつた。道中は天氣も良くまさにドライブ日和だつた。午後一時大會開始だつたが、一時間早く到着したため晝食を攝ることに。山梨と言つたら「ほうとう」でせうと云ふことになり、近くの「ほうとう」屋さんに向かふことに。愚生は「ほうとう」を食べたことはなく、今囘が初めてであつた。そこの「ほうとう」もなかゝゝ美味しかつたが、美食な市村副議長は納得せず「歸り知つてゐる ほうとう屋 に行かう」と提案、食ひしん坊の愚生もすかさず賛同し、歸りの樂しみに。
大會が終了し市村副議長の知つてるお店に胸躍る黄もとで向かつた。一時間半かけて到着、そのお店は、河口湖側で古い古民家を改裝した趣のある建物だつた。
趣あるお店の看板
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お品書きはほうとう一種類とおしんこなどである。(なぜかキムチは書いてあつたが なぜであらうか・・・)ほうとうを頼みしばしの我慢である。少ししてから現れた。鐵鍋に具だくさんのはうとうだつた。またお汁も、ほうとうも本當に美味しかつた。大變滿足し、家路に着いたのだつた。
入口にて
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どこぞの評論家みたい・・・
信玄ほうとう由來
ほうとうは「餺飥 はくたく」の音便です。中國は唐の時代、お汁の中に入れた麺を「不飥 ふたく」と呼び、のちの「餺飥 はくたく」と呼ばれるやうになつたと事物異名録は傳へます。日本では今を去る千年の昔、「倭名抄 わみようしよう」に餺飥の名が見られ「麺をのべてそろへて切る」とあります。有名な枕草子にも はうたふまゐらせん、しばしとどまれ とあり、おそらくほうとうは、平安貴族の愛好した食物の一つだつたのでせう。その後武田信玄公が、戰時食としてほうとうを作らさせた際、多くの野菜を野菜を入れたのが甲州風として受け繼がれ、現在の信玄ほうとうとなりました。
大會が終了し市村副議長の知つてるお店に胸躍る黄もとで向かつた。一時間半かけて到着、そのお店は、河口湖側で古い古民家を改裝した趣のある建物だつた。
趣あるお店の看板
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お品書きはほうとう一種類とおしんこなどである。(なぜかキムチは書いてあつたが なぜであらうか・・・)ほうとうを頼みしばしの我慢である。少ししてから現れた。鐵鍋に具だくさんのはうとうだつた。またお汁も、ほうとうも本當に美味しかつた。大變滿足し、家路に着いたのだつた。
入口にて
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どこぞの評論家みたい・・・
信玄ほうとう由來
ほうとうは「餺飥 はくたく」の音便です。中國は唐の時代、お汁の中に入れた麺を「不飥 ふたく」と呼び、のちの「餺飥 はくたく」と呼ばれるやうになつたと事物異名録は傳へます。日本では今を去る千年の昔、「倭名抄 わみようしよう」に餺飥の名が見られ「麺をのべてそろへて切る」とあります。有名な枕草子にも はうたふまゐらせん、しばしとどまれ とあり、おそらくほうとうは、平安貴族の愛好した食物の一つだつたのでせう。その後武田信玄公が、戰時食としてほうとうを作らさせた際、多くの野菜を野菜を入れたのが甲州風として受け繼がれ、現在の信玄ほうとうとなりました。








