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初めて「ほうとう」を食すの卷 
本日は前囘の續きである。市村副議長の車で山梨に向かつた。道中は天氣も良くまさにドライブ日和だつた。午後一時大會開始だつたが、一時間早く到着したため晝食を攝ることに。山梨と言つたら「ほうとう」でせうと云ふことになり、近くの「ほうとう」屋さんに向かふことに。愚生は「ほうとう」を食べたことはなく、今囘が初めてであつた。そこの「ほうとう」もなかゝゝ美味しかつたが、美食な市村副議長は納得せず「歸り知つてゐる ほうとう屋 に行かう」と提案、食ひしん坊の愚生もすかさず賛同し、歸りの樂しみに。
大會が終了し市村副議長の知つてるお店に胸躍る黄もとで向かつた。一時間半かけて到着、そのお店は、河口湖側で古い古民家を改裝した趣のある建物だつた。


趣あるお店の看板
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お品書きはほうとう一種類とおしんこなどである。(なぜかキムチは書いてあつたが なぜであらうか・・・)ほうとうを頼みしばしの我慢である。少ししてから現れた。鐵鍋に具だくさんのはうとうだつた。またお汁も、ほうとうも本當に美味しかつた。大變滿足し、家路に着いたのだつた。


入口にて
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どこぞの評論家みたい・・・

信玄ほうとう由來

ほうとうは「餺飥 はくたく」の音便です。中國は唐の時代、お汁の中に入れた麺を「不飥 ふたく」と呼び、のちの「餺飥 はくたく」と呼ばれるやうになつたと事物異名録は傳へます。日本では今を去る千年の昔、「倭名抄 わみようしよう」に餺飥の名が見られ「麺をのべてそろへて切る」とあります。有名な枕草子にも はうたふまゐらせん、しばしとどまれ とあり、おそらくほうとうは、平安貴族の愛好した食物の一つだつたのでせう。その後武田信玄公が、戰時食としてほうとうを作らさせた際、多くの野菜を野菜を入れたのが甲州風として受け繼がれ、現在の信玄ほうとうとなりました。
# by gokokutekkentai | 2012-05-24 21:01 | Trackback | Comments(0)
山梨遠征
昨日は全國有志大聯合「第三十囘甲斐の國全國大會」山梨青年フォーラムに神奈川縣維新協議會として市村副議長と參加した。第一部では民主黨政權の危險性に就いての講演があり、第二部では參加者の質疑応答があつた。僭越ながら愚生も質問をした。
愚生が問ふ「最近のテレビや雜誌では自稱保守と呼ばれる人達が、 天皇をお守りするんだ等の發言、文言がみられるが、畏れ多くも現人神であられる 天皇陛下を一臣民がお守りするなど畏れ多いことであり、我々國民が 天皇陛下にお守りされてゐると云ふ(自稱保守と呼ばれる人達には)自覺がないことに就いてどう思はれるか。これはまさに今の國民は檀上に掲げられてゐる荒廢せる國民教育の結果ではないか」と云ふ内容の質問をした。愚生の問いに犬塚先生が答へてくださり「吾人陣營の確たる立場の明確化」と云ふ助言をいただいた。


徳富蘇峰翁曰く「臣民は、自發的に、自然的に、任意的に皇室に向つて忠節を致す可きものと覺悟した。所謂る皇室は太陽系の如く、總ての臣民の中心として、それを周邊に吸收した。所謂る皇室中心主義は理論でなく、事實だ。空想でなく、現實だ」 (國民小訓 臣民の忠節より拔粹)

尊皇崇國の精神がすべての始まりであり尊皇崇國の精神が國民に充滿すれば民主黨問題など總て解決するものと愚生は考へる。






次囘の日乘は山梨名物のはうとうを食べるの卷です。かうご期待 (偶には息拔きの日乘です)
# by gokokutekkentai | 2012-05-21 22:02 | Trackback | Comments(0)
信じる道の尊さ
昨日「櫻田門外の變」のDVDを見た。一度見たのだがもう一度じつくり見たくなりレンタルしてきた。水戸の浪士達がなぜに井伊直助暗殺の義挙にでたのか その前後のいきさつそして義挙後の水戸浪士達を描いてゐる。ここでは關鐵之助が中心に描かれてゐる。關鐵之助は井伊暗殺の實行部隊ではなく井伊暗殺に於る實行部隊の指揮者であつた。その後、薩摩藩などを頼つて近畿・四國方面の各地を逃げ囘つたが、受け入れられず水戸藩領へ向かひ、文久元年7月9日に袋田(現在の久慈郡大子町)に入つて、櫻岡家にかくまはれた。しかしそれでも危險が迫り、水戸藩領内を轉々と潛伏した後、越後へと逃れたが、湯澤温泉(現在の岩船郡關川村)で捕らえられた。水戸で投獄された後、江戸送りとなつて、文久2年5月11日に日本橋小傳馬町の牢に於て斬首された。享年39
特に最後に捕らわれた時に水戸藩の部下にかう言ひ放つた「最早幕府はもたぬ、鎌倉幕府、足利幕府と同じやうにいづれ朝廷に御味方する力に倒される。その時水戸はどうするか」と投げかけるのだ。その後は云ふまでもなく尊皇攘夷が廣まり、鳥羽・伏見の役を經て明治維新になつていくのだ。彼ら水戸浪士は自分の信念を貫き太く短い一生を過ごした。
徳富蘇峰翁曰く「維新の大業には、第一理想がありました。第二に理想を實行するに徹底的でありました。第三に徹底的にやる爲には一大冒險を斷行致しました。而して維新の志士は、當初から一命を投げ出し、飽迄も責任を取り、その所信に殉ずる眞劍味がありました。
而して此の眞劍味が我等の尤も學ばねばならぬ所の大なる教訓であると信ずるものであります」
と(日本を知れ)より拔粹
奇しくも櫻田門外から國會議事堂までは目と鼻の先である。政界の住人は一命を賭してまでの先達の行爲をどのやうに感じてゐるのだらう。


# by gokokutekkentai | 2012-05-08 11:09 | Trackback | Comments(0)
鐵拳隊長の黄金週間日記
今年の黄金週間は毎年のことだが、實家から家族が上京してくる。今囘は少し早めに歸郷するので實家まで送つていき、一泊してきた。歸郷する日に復興がどこまで進んでゐるのか「ぶらり旅」をしてきた。一見復興してゐるにみえるがそれは繁華街だけであつて、少し離れた場所では津波で被害があつた家を取り壞し更地にした儘の状態であつた。

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その先には「美空ひばり」の名曲の一つ「みだれ髮」のモデルになつた「鹽谷埼燈臺」に行つてみた。そこは奇蹟的に津波の影響を逃れ今でも多くの觀光客が訪れてゐた。

鹽谷埼燈臺
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「みだれ髪」の歌碑
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いまだ復興がままならない状況を見、家路についた。しかも恥づかしながら愚生の田舎では働かず、仕事もせず、國からの交附金や保證金をあてにして晝間からパチンコ屋に入り滲つてゐると云ふ報道を耳にしたことがある。愚生の實家の前の空き地にもパチンコ屋が建設されると
「絆」や「がんばろう日本」などとお題目のやうに叫びながら神奈川縣のがれき受け入れのゴタヾヽにもみられるやうに自治體とは自治心とは何かと言はざる得ない。
徳富蘇峰翁曰く「自治の第一は、己れ自ら立つ事、自治の第二は、他と興に立つ事。若し己れ自ら立つて、他の立つを妨ぐるが如きあらば、他も亦た我が立つを妨ぐるが必然である。故に完全に己に自ら立たんと欲せば、他と興に立たねばならぬ」と(昭和一新論)自治心と自治體より拔粹
またかうも曰く「立憲政治は、國民の自治心の上に立つもの。自治制の地盤、下に鞏固にして、而して後憲政の美、上に完濟することが出來る。然るに現時の如き状態では、我が憲政は、砂上の城の如く、何時崩潰す可きや、危險千萬と云はねばならぬ」と(昭和一新論)自治心と自治體より拔粹

この震災から政治も自治體も國民も變はらなければならない。翁が述べられてゐるやうに「何時崩潰す可きや」になつてしまふ。否もうなつてゐるのかもしれない。


「みだれ髪」の歌詞
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作曲:船村徹
作詞:星野哲郎
髪のみだれに 手をやれば
赤い蹴出しが 風に舞う
憎や 恋しや 塩屋の岬
投げて届かぬ 想いの糸が
胸にからんで 涙をしぼる

すてたお方の しあわせを
祈る女の 性かなし
辛らや 重たや わが恋ながら
沖の瀬をゆく 底曳き網の
舟にのせたい この片情け

春は二重に 巻いた帯
三重に巻いても 余る秋
暗や 涯てなや 塩屋の岬
見えぬ心を 照らしておくれ
ひとりぼっちに しないでおくれ
# by gokokutekkentai | 2012-05-06 21:34 | Trackback | Comments(2)
グラビアアイドルじやねーよ
四月二十九日は先帝陛下の御誕生日であり、現在では昭和節である。當隊が所屬する神奈川縣維新協議會では毎年武藏野陵(むさしののみささぎ)昭和天皇御陵に參拜してゐる。本年も當協議會一同で參拜した。
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その後三條の會として神奈川縣維新協議會有志一同で皇居遙拜を行ふために皇居二重橋に向かつた。休日と云ふことで皇居には四十から五十人はゐただらうか。おそらくシナ人、朝鮮人、白人、そして日本人とゐただらうか。今では皇居は觀光場所となつてゐる。そんな中吾人の似つかはない格好に既に當局は警戒の眼差しを送り近寄つてきた。それにともなひ吾人に好奇な目を向ける觀光客・・・ それにも吾人の尊皇崇國の氣持ちはちつとも搖るがないのである。寧ろ(本當の日本人の氣概を見せるのだ)と吾人一同氣合ひに滿ち溢れてゐた。
二重橋を前に僭越ながら愚生が先導を務めた 祝詞を奏上したとたんに二重橋にゐた人達が一齊に近寄つてきて冩眞を撮りまくつてゐた。(グラビアアイドルじやねーよ)と思ひながら祝詞奏上を終へ、次に念誦を奉唱したとたんまたゝゝ寄つてくる見物人達、念誦を終へ、下坐し、高山彦九郎先生の和歌を奉唱し遙拜した瞬間「ジヤリヾヽヽ」とあからさまに見物人が近寄つてくる玉砂利の音である。こゝまでくると見物人も堂々と冩眞を撮つてくる。    その後吾人が立ち上がる瞬間には蜘蛛の子を散らすやうにゐなくなる見物人。吾人は何事もなかつたやうに二重橋をあとにした。しかし明治天皇がご病氣になられたときは國民が二重橋に集まり下坐して御平癒を祈願したのだ。吾人は一臣民として當然の行ひをしただけである。
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# by gokokutekkentai | 2012-04-30 01:27 | Trackback | Comments(1)
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虚け者樣の言ふ通りです。..
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