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「本日天氣晴朗ナレドモ浪高シ」 海軍記念日
本日五月廿七日は海軍記念日所謂日本海海戰勝利の日である。當隊が加盟してゐる神奈川縣維新協議會では、大磯から横濱までの奉祝街宣をおこなつた。「「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天氣晴朗ナレドモ浪高シ」これは秋山眞之が大本營に送つた電文とされてゐる。明治の御代になり數々の苦難に先人たちの苦難、苦慮は計り知れない。ではいかにこの苦難を乘り切つたのか。
徳富蘇峰翁曰く「軍人の士氣とて、特別に存するものではない。國民の士氣が凝集して、軍人の士氣となる。苟も國民其の士氣を失墜して、獨り軍人にのみ士氣の旺盛を責むるは、是れ本末顛倒と云はねばならぬ」
またかうも曰く「今日は決して軍備の充實を、忘れてはならぬ。されどそれよりも必須なるは、國民の元氣と精神である」
吾人は、今一度先人たちに習ひ、國民一丸となつて皇國日本の復活を目指させねばなるまい。

當隊が加盟してゐる、神奈川縣維新協議會の諸兄の面々
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明治三十七八年戰役海軍記念日選定覺書
それ戰勝を記念するは啻(※)たに士氣を振作し軍容を整齊する道たるのみならず邦家を永遠に祝福しその發達を無窮に期待する所以なり。
 惟(おも)うに明治三十七八年の戰役は千古を曠(むなし)うし宇内(うだい)を震撼せるの偉績たり。而して作戰の經過を觀るに我軍の連勝を以て終始を貫く故に各部各隊の記念に存すべきの日また僂指(るし)するに遑(いとま)あらずと雖も、中に就き重要なるものを選び以て全般を通じて遵行せしむるを尤も允當(いんとう)なりと信ず。
 案ずるに明治三十七年八月十日黄海の海戰の如きは旅順敵艦隊の主力を摧破(さいは)して制海の權を我に收め據て以て局面の展開を促進したるものにして實に本戰役に於ける一大關鍵と謂ふべきなり。それ然り。而れども尚一層緊切なる交戰を舉ぐれば蓋し明治三十八年五月二十七八日に於ける日本海の海戰を推さざるを得ず。この戰は我艦隊の全部これに參與し、敵また最後の運命を賭し死力を竭(つ)くして來り抗し空前の激鬪に入り、我遂に彼を殲滅して愈々(愈々)制海權を確把し、以て這般戰局の大勢を決したるものなり。
 乃ち吾人は日本海の海戰中尤も重要なる第一日を取り、五月二十七日を以て帝國海軍の記念日と定め、永遠にこれを保つべきことをここに宣明す。 明治三十九年三月十七日)

 宇内 : 天下、世界
 僂指 : 指を折つて數へること
 允當 : 理にかなうこと
 摧破 : 碎き壞すこと。=破摧。

旗艦である「戰艦 三笠」は神奈川縣横須賀市に保存されてゐる。
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横須賀市に保存されてゐる「戰艦 三笠」
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by gokokutekkentai | 2012-05-27 22:00
初めて「ほうとう」を食すの卷 
本日は前囘の續きである。市村副議長の車で山梨に向かつた。道中は天氣も良くまさにドライブ日和だつた。午後一時大會開始だつたが、一時間早く到着したため晝食を攝ることに。山梨と言つたら「ほうとう」でせうと云ふことになり、近くの「ほうとう」屋さんに向かふことに。愚生は「ほうとう」を食べたことはなく、今囘が初めてであつた。そこの「ほうとう」もなかゝゝ美味しかつたが、美食な市村副議長は納得せず「歸り知つてゐる ほうとう屋 に行かう」と提案、食ひしん坊の愚生もすかさず賛同し、歸りの樂しみに。
大會が終了し市村副議長の知つてるお店に胸躍る黄もとで向かつた。一時間半かけて到着、そのお店は、河口湖側で古い古民家を改裝した趣のある建物だつた。


趣あるお店の看板
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お品書きはほうとう一種類とおしんこなどである。(なぜかキムチは書いてあつたが なぜであらうか・・・)ほうとうを頼みしばしの我慢である。少ししてから現れた。鐵鍋に具だくさんのはうとうだつた。またお汁も、ほうとうも本當に美味しかつた。大變滿足し、家路に着いたのだつた。


入口にて
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どこぞの評論家みたい・・・

信玄ほうとう由來

ほうとうは「餺飥 はくたく」の音便です。中國は唐の時代、お汁の中に入れた麺を「不飥 ふたく」と呼び、のちの「餺飥 はくたく」と呼ばれるやうになつたと事物異名録は傳へます。日本では今を去る千年の昔、「倭名抄 わみようしよう」に餺飥の名が見られ「麺をのべてそろへて切る」とあります。有名な枕草子にも はうたふまゐらせん、しばしとどまれ とあり、おそらくほうとうは、平安貴族の愛好した食物の一つだつたのでせう。その後武田信玄公が、戰時食としてほうとうを作らさせた際、多くの野菜を野菜を入れたのが甲州風として受け繼がれ、現在の信玄ほうとうとなりました。
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by gokokutekkentai | 2012-05-24 21:01
山梨遠征
昨日は全國有志大聯合「第三十囘甲斐の國全國大會」山梨青年フォーラムに神奈川縣維新協議會として市村副議長と參加した。第一部では民主黨政權の危險性に就いての講演があり、第二部では參加者の質疑応答があつた。僭越ながら愚生も質問をした。
愚生が問ふ「最近のテレビや雜誌では自稱保守と呼ばれる人達が、 天皇をお守りするんだ等の發言、文言がみられるが、畏れ多くも現人神であられる 天皇陛下を一臣民がお守りするなど畏れ多いことであり、我々國民が 天皇陛下にお守りされてゐると云ふ(自稱保守と呼ばれる人達には)自覺がないことに就いてどう思はれるか。これはまさに今の國民は檀上に掲げられてゐる荒廢せる國民教育の結果ではないか」と云ふ内容の質問をした。愚生の問いに犬塚先生が答へてくださり「吾人陣營の確たる立場の明確化」と云ふ助言をいただいた。


徳富蘇峰翁曰く「臣民は、自發的に、自然的に、任意的に皇室に向つて忠節を致す可きものと覺悟した。所謂る皇室は太陽系の如く、總ての臣民の中心として、それを周邊に吸收した。所謂る皇室中心主義は理論でなく、事實だ。空想でなく、現實だ」 (國民小訓 臣民の忠節より拔粹)

尊皇崇國の精神がすべての始まりであり尊皇崇國の精神が國民に充滿すれば民主黨問題など總て解決するものと愚生は考へる。

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次囘の日乘は山梨名物のはうとうを食べるの卷です。かうご期待 (偶には息拔きの日乘です)
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by gokokutekkentai | 2012-05-21 22:02
信じる道の尊さ
昨日「櫻田門外の變」のDVDを見た。一度見たのだがもう一度じつくり見たくなりレンタルしてきた。水戸の浪士達がなぜに井伊直助暗殺の義挙にでたのか その前後のいきさつそして義挙後の水戸浪士達を描いてゐる。ここでは關鐵之助が中心に描かれてゐる。關鐵之助は井伊暗殺の實行部隊ではなく井伊暗殺に於る實行部隊の指揮者であつた。その後、薩摩藩などを頼つて近畿・四國方面の各地を逃げ囘つたが、受け入れられず水戸藩領へ向かひ、文久元年七月九日に袋田(現在の久慈郡大子町)に入つて、櫻岡家にかくまはれた。しかしそれでも危險が迫り、水戸藩領内を轉々と潛伏した後、越後へと逃れたが、湯澤温泉(現在の岩船郡關川村)で捕らえられた。水戸で投獄された後、江戸送りとなつて、文久二年五月十一日に日本橋小傳馬町の牢に於て斬首された。享年三十九
特に最後に捕らわれた時に水戸藩の部下にかう言ひ放つた「最早幕府はもたぬ、鎌倉幕府、足利幕府と同じやうにいづれ朝廷に御味方する力に倒される。その時水戸はどうするか」と投げかけるのだ。その後は云ふまでもなく尊皇攘夷が廣まり、鳥羽・伏見の役を經て明治維新になつていくのだ。彼ら水戸浪士は自分の信念を貫き太く短い一生を過ごした。
徳富蘇峰翁曰く「維新の大業には、第一理想がありました。第二に理想を實行するに徹底的でありました。第三に徹底的にやる爲には一大冒險を斷行致しました。而して維新の志士は、當初から一命を投げ出し、飽迄も責任を取り、その所信に殉ずる眞劍味がありました。
而して此の眞劍味が我等の尤も學ばねばならぬ所の大なる教訓であると信ずるものであります」
と(日本を知れ)より拔粹
奇しくも櫻田門外から國會議事堂までは目と鼻の先である。政界の住人は一命を賭してまでの先達の行爲をどのやうに感じてゐるのだらう。


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by gokokutekkentai | 2012-05-08 11:09
  
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