<   2013年 05月 ( 9 )   > この月の画像一覧
鐵拳親父相撲を取るぢやなく相撲を觀に行くの卷
先週の水曜日に會社の人たちと大相撲を觀に兩國國技館に行つてきた。なぜ大相撲かと云ふと、愚生が働いてゐる職場では俄かに日本の傳統文化を見に行かうがブームなのである。本當は歌舞伎を見に行く豫定だつたのだが初めてで敷居が高いと云ふことになり、まづは大相撲觀戰となつた。
大相撲はもとゝゝは神事であり神樣に奉納されてゐたのだ。
古事記に於ては、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣(葦原中國平定)の際、出雲の建御名方神(タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言つた後タケミカヅチの腕を掴んで投げようとした描冩がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から劍(つるぎ)に變へたため掴めなかつた。逆にタケミカヅチはタケミナカタの手を葦のやうに握り潰してしまひ、勝負にならなかつたとあり、これが相撲の起源とされてゐる。

「すもう」は動詞「すまふ」の連用形「すまひ」が名詞化したものを元とする語で、いつしか轉訛して「すまふ」→「すもう」になつた。或は「何時の頃よりか動詞の形のまゝでスマフといひなされるに至つた」(一味清風)とも言ふ。彦山光三のやうに「「すまひ」が轉訛して「すもう」になる場合の假名書きは、音便の法則からして「すまう」が正しく「すまふ」は誤りである」と云ふ説もあるにはあるが、「すまふ」が主流で「すまう」とも書くと云ふから、「すまひ」が轉訛した際の表記は「すまふ」で發音が「すもう」、音が「すもう」であるから「すまう」と記しても通用した、と云ふほどのことではないか。

b0241807_2012641.jpg

↑↑↑
こんな住所がある。

b0241807_20152833.jpg


b0241807_20163291.jpg

↑↑↑
先帝陛下が詠まれた御製が書かれてゐる石碑

b0241807_2020791.jpg

↑↑↑
左が豐國稻荷神社 右が出世神社

b0241807_20213742.jpg

↑↑↑
幕内力士の土俵入り

b0241807_20235062.jpg

↑↑↑
横綱 白鳳の土俵入り

b0241807_20245145.jpg

↑↑↑
横綱 日馬富士の土俵入り

b0241807_20284967.jpg

↑↑↑
結びの一番 白鳳對琴歐洲 懸賞金が一杯ついてゐた。

b0241807_20294076.jpg

↑↑↑
歸りに寄つたちやんこや「霧島」で元大關霧島現在は陸奧親方との記念撮影

初めて相撲を觀戰したが、思つた以上の迫力だつた。また力士たちは非常に體も大きくある意味近づきがたかつた。また歸りに寄つたちやんこや霧島では陸奧親方に出會ひとても感動した。 それでも現役の時よりも20キロもやせたらしいが、現役の時のやうに筋肉隆々だつた。

愚生も體格的には合格だが、あんな大きな人と相撲は取りたくない・・・と云ふかまだ長生きしたいとふと思つたのだ(笑止)
[PR]
by gokokutekkentai | 2013-05-27 20:41
さうだ神社に行かう 番外編
神社參拜途中に近くの地區センターでなにか催し物が行はれてをり、少し立ち寄つてみた。そこではバザーや食べ物の販賣、色々な見世物が行はれてゐた。それはそこの地區センターを借りてゐる樣々な倶樂部の人達による催し物であつた。愚生は知的障碍者の方々の倶樂部で多少の食べ物とそこの人が作つた小物入れを買つて次の神社へと向かつたのだ。以前にも違ふ地區センターで知的障碍の人が作つた小物入れを贖入したのだが値段の割にしつかりとしてをり安い買ひ物をした。

b0241807_20455541.jpg

↑↑↑
詩吟倶樂部の子供たちによる踊り

b0241807_20471916.jpg

↑↑↑
開催されたプログラム

b0241807_20524331.jpg

↑↑↑
この出來榮えで千圓とは安い

とても有意義な休日だつた。偶にはこんな休日の過ごし方もいいかも。

次囘は鐵拳親父傳統藝能を見にゆくの卷です。
[PR]
by gokokutekkentai | 2013-05-26 20:57
さうだ神社に行かう 篠原八幡大神編
なんだかんだでお晝を過ぎてしまひ最後に篠原八幡大神に參拜してきた。


御祭神
應神天皇(誉田別命)

御由緒並びに御神徳

当神社は後鳥羽院建久三年(鎌倉時代)九月鈴木村の鎮守として仝村字会下谷に勧請奉斉し、鶴崎八幡と称す。
寛永八年仝村字表谷に社殿を建立して奉遷し、其後寛文七年時の代官伊奈半十郎手代新井孫兵衛により社殿を再建し若宮八幡と称した。
武蔵風土記稿に鶴崎八幡と称したるいわれを知らずとあり、鈴木村は篠原村となり若宮八幡宮は八幡大神と奉称するにいたった。
明治六年村社に列せられる。
昭和十五年八月十五日、明治三十九年勅令第九十六号による神饌幣帛料を供進すべき神社に指定された。古事記や日本書紀に書かれてあります。
命は極めて慈愛深く武勇にすぐれ神話によれば生まれながらにして歩き御成長に従い、いよいよたくましく身の丈七尺余り衆に優れた偉丈夫となり一生涯一度の病気もなされず百十歳迄長生をされたとの伝説があります。このような御祭神でありますので昔から子育て八幡といわれ村人は子供が丈夫に育つように又無病息災を祈り戦に臨む者は武運長久を祈って出兵する者が多く永い間世人の信仰を得たのであります。
(篠原八幡大神家貢より抜粋 原文のマヽ抜粋)

b0241807_19415484.jpg

b0241807_19423285.jpg


こゝも毎年夏祭りが行はれ、たくさんの出店がでて近隣住人が多數訪れるのだ。愚生の母親に聞いたのだが、母親の父親は、お祭りでの囃子を吹いてゐたらしいのだ。

實に有意義な休日だつた。また近いうちに神社めぐりをしてみたい。
[PR]
by gokokutekkentai | 2013-05-23 19:51
さうだ神社に行かう  菊名神社編
杉山神社を參拜後原附で周邊をブラヾヽし、途中菊名地區センターでなにかイベントが開催しており休憩を兼ね少し見學した。このイベントの模樣は後日日乘に掲載豫定です・・・  その後菊名神社に向かつたのだ

御祭神

誉田別命(ほんだわけのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)
 

御由緒

ここ菊名の地には、昭和の初期まで神明社(天照皇大神)、杉山神社(日本武尊)、浅間神社(木花咲耶姫命)、八幡神社(譽田別命)、阿府神社(武内宿禰命)の5社が村社として地域の人々の信仰を集めて参りました。中でも記録に残るものとして最も古くからあるのが、阿府(あぶ)神社であり、その歴史は任和元年(885年)に遡るといわれております。時の天皇、光孝天皇が師岡に勅使を遣わされ熊野神社を創建なされた時、勅使がその途上、馬具の鎧をお納めになったことからその名が付いたと史書には書かれております。
 この5社が昭和10年、現在は菊名町公園となっている杉山神社の地に合祀され、名も「菊名神社」と改められました。その後、太平洋戦争の戦火を逃れてからは、同所を保健所建設用地として提供するため、当時の八幡神社の地(現菊名神社の地)に社殿を移設、以降この地で菊名の総鎮守として地域の人々とともに歩み、またその生活を見守り続けて参りました。
 この間、氏子崇敬者の厚いご協力の下、昭和32年には社殿の改修および社務所・神楽殿が建設され、信仰の対象としてだけでなく、地域住民の交流と青少年の研修の場としても大きな役割を担うこととなりました。そしてこの度平成23年には、50年ぶりの大々的な社殿改修工事を終え、21世紀に相応しい姿となって生まれ変わりました。
 新たに完成した拝殿の天井には、中心に「菊」の花を配し、四方にはがまんさまによって守られる24枚の天井画が飾られております。テーマは「菊名の絆」です。これは社殿は新しくなっても、菊名の総鎮守として以前と同様、変わらずこの地の人々とともにあることを示しているのです。拝殿には、24枚の天井画、輪になって咲く菊の花が中心に描かれ、四方は開運招福を呼ぶ四季を背景にしたがまんさまで守られています。
(菊名神社 家貢より抜粋 原文のマヽ掲載)

b0241807_21321711.jpg

b0241807_21325732.jpg


九月の例大祭にはたくさんの出店が竝び、毎年賑わつている。
[PR]
by gokokutekkentai | 2013-05-21 21:40
そうだ神社に行こう 杉山神社編
熊野神社參拜後ふらつとしてゐたら、近くに杉山神社ありの案内板があり、早速行つてみたのだつた。 愚生は田舎から出てきたての頃この近くでアルバイトをしてゐたのだが、杉山神社の存在に氣が附かなかつたのだ。


御由緒

鎭坐地
新編武藏風土記に、武藏國橘樹郡樽村大下とあり、石階十二級を設くとある。
現在は、横濱市港北區樽町四‐十番地



御祭神
日本武尊
新編武藏風土記には、「本地荒澤不動を神體とし幣吊のみで神像は見へず」とあり、祭神が日本武尊になつたのは、明治以降らしく、江戸時代は荒澤不動を祀つてゐた。境内に、稻荷社がある。

創建年代
不詳だが、新編武藏風土記によれば、応永十八年(千四百十一年)に鰐口がこれを鑄之と記され、この頃既に勸請されたものと思はれ、それ以前何處まで遡れるかは分からない。

b0241807_224116.jpg

b0241807_2245279.jpg

b0241807_2251425.jpg

[PR]
by gokokutekkentai | 2013-05-20 22:07
さうだ神社に行かう 師岡熊野神社編
本日は多少早起きし家の雜用をこなし、ふと神社に參拜したくなり家の近所の神社を調べ參拜してきた第一囘目は港北區の師岡熊野神社に參拜してきた。ここには一度參拜してみたく念願がかなつたのだ。

この神社は聖武天皇神亀元甲子年(西暦724年)に全寿仙人によって開かれ熊野山の中腹に鎮祭し和歌山県熊野三社の祭神と御一体であります。
仁和元年7月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わりそれ以来宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は1050回余にもなる。
観応2年6月17日雷火のため社殿は消失したが神体、社宝は無事であり特に貞治三年の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝へて居る。例へば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更にいの池(指定地域史跡)、のの池ちの池の故事等、枚挙にいとまがない。
享禄2年北条早雲公、慶長4年徳川家康公、寛永19年家光公、寛文五年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め代々の将軍家の崇敬極めて篤く神社への御朱印は幕末まで続けられた。
明治元年神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに二分され明治3年県社に列格したが、氏子の陳情する所あって明治6年三十三ヶ村の郷社に列した。
 その後、各所の整備造営工事を行ってきたが、遂に今般「平成の大修造」と称し、覆殿・翼殿をはじめとする壮大な造営事業を実施し、面目を一新した。

当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、また、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。(師岡熊野神社 家貢より原文のマヽ抜粋) 

八咫烏とは古事記によると、八咫烏は高木大神(たかぎのおおかみ)の命令で、神武天皇東征の際に一行を道案内するやうに命じられ、天より遣はされたと云ふ。
日本書紀には天照大御神が遣はしたと書かれてゐる。
姓氏録によれば、八咫烏は賀茂御祖神社(下鴨神社)で祀られてゐる賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身と傳へられる。

b0241807_2254655.jpg
b0241807_2261116.jpg
b0241807_2264137.jpg
b0241807_227073.jpg
b0241807_2274063.jpg
b0241807_2275350.jpg
b0241807_2281266.jpg


最近では日本サツカー代表のエンブレムに八咫烏が使はれてをり、おほくのサツカーフアンが訪れるらしい。更に最近ではパワースポツトとして人氣らしいのだ。しかし今日は人もをらず時折吹く風の音、木々が搖れる音がすごく心地よく神々からの力を分けてもらつた気がする。
[PR]
by gokokutekkentai | 2013-05-19 22:11
母の日の演説會
本日は天氣も良く昨日の雨が嘘のやうに晴れ上がり初夏を思はせる天氣であつた。本日は義信塾主催の横濱演説會に參加した。今日は母の日であつためかたくさんの人が訪れてゐた。
また大行社の小針氏や大日本天誠團の内田團長、皇國同志會 花上會長も見えとても有意義な演説會になつた。

b0241807_21513581.jpg


b0241807_21525424.jpg


b0241807_21532347.jpg


b0241807_2154818.jpg


b0241807_21535438.jpg


各辯士とも昨今の政治状況や日本人の本質に就いてわかりやすく熱辯されてゐた。
愚生は時局からの日本神話を基本に再教育の重要性などを披露させていただいた。最後に今日は母の日であるから日ごろの感謝を忘れないやうにと締め、御老人に聲援をもらつたのだ。まあ色々あつた樂しい演説會であつた。
[PR]
by gokokutekkentai | 2013-05-12 23:12
富士山 世界遺産登録
今日のニユースで富士山が世界遺産に認定されると云ふ。その理由として「富士山信仰と云ふ山嶽に對する日本固有の文化的な傳統を表してゐる」が大きな理由らしい。古來より日本人は自然の中に神を見いだし、信仰の對象としてきた。一神教を信じる白人にはわかるまいと思つてゐたが、今となつてやつと日本人の信仰心に氣附いたのだらうか。

日本政府は去年1月、ユネスコの世界文化遺産に推薦し、ユネスコの諮問機関「イコモス」が去年8月から9月にかけて現地調査を行うなどして検討してきました。
この結果、「イコモス」は、富士山について、富士山信仰という山岳に対する日本固有の文化的な伝統を表しているなどとして、日本政府が推薦していた静岡県にある三保松原を除くことを条件に「世界遺産に登録することがふさわしい」とする勧告をまとめました。(NHK ニユースより抜粋 原文のマヽ)

「富士本宮浅間大社」
主祭神 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)(別称:浅間大神(あさまのおおかみ)) 相殿神 瓊々杵尊(ににぎのみこと)大山祇神(おおやまづみのかみ)
 「日本(ひのもと)の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも」と万葉の歌人高橋蟲麻呂が詠んだ清らかで気高く美しい富士山。この霊山を御神体として鎮まりますのは、浅間大神・木花之佐久夜毘売命にまします。
 木花之佐久夜毘売命は、大山祇神の御息女にして大変美しく、天孫瓊々杵尊の皇后となられた御方です。命はご懐妊の際、貞節を疑われたことから証を立てるため、戸の無い産屋を建て、周りに火を放ち御出産になられました。そして、無事3人の皇子を生まれたという故事にちなみ、家庭円満・安産・子安・水徳の神とされ、火難消除・安産・航海・漁業・農業・機織等の守護神として全国的な崇敬を集めています。
 木花という御神名から桜が御神木とされています。境内には500本もの桜樹が奉納されており、春には桜の名所として賑わいます。また、申の日に富士山が現れた故事から神使いは猿といわれています。(富士本宮浅間大社 家貢より抜粋)

この間「レッドドラゴン」と云ふ冩眞集を買つたのだが、この冩眞集は富士山に眞つ赤な龍の形をした雲が浮び上がつた時の冩眞が多數掲載されてゐるのだ。これがとても神祕的なのだ。

b0241807_2282313.jpg


b0241807_2284799.jpg

[PR]
by gokokutekkentai | 2013-05-02 22:10
昭和の日
四月廿九日、昭和の日は當隊が加盟してゐる神奈川縣維新協議會一行で毎年恆例の多摩御陵、武藏野御陵を謹んで參拜した。今年は新體制になつて初めての參拜であつた。吾人は大正天皇、先帝陛下に對し奉り皇國に生まれ、天皇の臣民としての喜びの想ひを胸に參拜した。

b0241807_20305219.jpg


b0241807_20311953.jpg


b0241807_20313976.jpg


徳富蘇峰翁曰く「他国の君主は帽子の如く、何時でも取換ゆることが出来る。皇国の天皇は、頭首である。人身頭首を絶てば、必ず死す。他国は人民ありての臣民である。他国は國ありて而して後、君主生ず。皇国は君主在りて而して後、国土あり、臣民あり。故に我国は国を皇国と云い、民を皇民と云う。皇国とは天皇の国である。皇民とは天皇の民である。一本万殊、万殊一本、其末千万無量なるも、其本に遡れば、必らず万世一系の皇統に帰せざるものは無い。」
[PR]
by gokokutekkentai | 2013-05-01 21:41
  
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリ
全体
未分類
最新の記事
天長節奉祝日乃丸大行進の御案内
at 2014-12-05 21:55
明治節參加
at 2014-11-09 09:57
眞實の歴史
at 2014-11-09 09:46
本日は地久節
at 2014-10-20 19:59
靖國神社秋季例大祭參加
at 2014-10-20 19:33
画像一覧
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
ブログパーツ
ファン